僕は地震より雷より親父より火事が怖い
昨日は 第22回 全国消防操法大会 蒲郡大会 を生中継してきた。
僕らはこの大会のことを、今回携わらせてもらうことになるまで知らなかった。
知ってからも正直、あそこまでの規模の大会であるとは思ってなかった。
いやぁ、びっくりした。
ほかに形容のしようがないので、この一言で表すが「すごかった」。
「消防団の甲子園」と呼ばれていることが理解できた。
熱かった。実に熱く、そして暖かかった。
僕は小学生の時に家が燃えた。春少し前のある日、夜中に騒々しい物音と大きな怒号に目を覚ますと、寝室の障子の向こうが鮮やかなオレンジ色になってゆらゆら揺れて、パチパチという音が聞こえ、煙がもうもうとたちこめていた。
父が消化器を天井に向け、母がその後ろからホースで放水して消火していた。
僕は弟を起こして両親を大声で呼び、そして僕ら兄弟は誰かに抱きかかえられて窓から表に出され、そのままおんぶされて近所で駄菓子屋を営んでいた祖母の家に避難した。
消防車が来て消化剤と大量の水を家にぶっかけ、やがて鎮火した。
その日は3学期の終業式だった。
僕と弟は幸いびしょぬれになっていなかったランドセルとタンスの奥の方の服だけ取り出して通信簿をもらいに学校へ行った。
何も実感のないまま、ただ眠かったことを覚えている。
出火原因は薪で沸かしていた風呂の古くなった煙突の中にススが溜まり、そこにくすぶっていた火種が乾燥した空気も手伝って、天井裏のホコリに引火してその火が瞬時に広がったということだった。(子どもだったのでその頃は理解出来なかったが)
燃えたのは廊下と階段の一部だったが、消火の際の消化剤と水のおかげで、台所を含め8つあった部屋の7つが使い物にならなくなって、八畳間の和室だけで両親と僕ら兄弟、そして祖父の家族5人が改築が終わるまでの間生活することになった。
その不便さはそれほど辛く無かった。
子どもだったし、家族がいつも同じ部屋にいることは苦ではなかった。
今思えば両親はいろいろストレスがあっただろうが。
それよりも、真夜中に目覚めた時のあの障子の向こう側に揺れる鮮やかなオレンジ色と家が燃える匂いと音は今も忘れられない。
僕は火事が怖い。怖いから、あれ以来、火事のことを扱った映画や書物などを見聞きして来た。なんで?って言われるかもしれないけど、それは克服とかそういうものではなく、自分でもなぜだかわからないけど、とにかくそうしてきた。
あの時、僕らを助けてくれた消防士が、火事の翌日に事後処理や現場検証などで家に来た時、火は消せたけど、住めない家にしてしまってごめんねと言ってくれたのを覚えている。
その人の顔は忘れてしまったし、名前も知らない。
そんな名もなき英雄たちへ、昨日の生中継がわずかながらでも恩返しになればと思う。
第22回 全国消防操法大会 蒲郡大会 でトンパテレビが生中継した映像はUstreamに保存してあります。また、近日中にトンパテレビのウェブサイトに特設サイトを設けます。
みんなのインターネット放送局 TOMPA_TV トンパテレビ
そして、12月5日には、日本初であり日本発のコンバットチャレンジ大会として全国の消防職員自らが企画・準備を進めている Japan Fire Fighting Spirits (通称:JFFS)を、トンパテレビが完全生中継します。ぜひ!
JFFS公式サイト
by thin-p | 2010-11-13 12:56 | TOMPA_TV