言論の自由を考える
趣味や嗜好の「好きではないもの」「苦手なもの」「嫌いなもの・嫌悪感を抱くもの」「ダメだと思うもの」について SNSで本心、本音を表すことをしなくなって久しい。
飲食についてはそれほど意識をしないけれど、音楽や映画や書物や人物のそれを表すと、SNSでつながりのある、それが好きな誰かの気に障るのでは、とついつい気にしてしまうから。
オンライン/オフラインのそれぞれに溢れる、みんなが使う言葉の選び方についても同様で、それが嫌だとか耳障りだとかを表すと、それを使って会話や投稿をしている人たちを批判することになる、とか気にして飲み込んだり引っ込めていたり。
番組、作品、イベントなどに於いても、くだらないと吐いて捨てれば良いものを、それを僕が言ってしまったらおしまいだ、とか、それは言わない約束でしょ、みたいに思って踏みとどまったり。
面白くもなんとも無い意見や思想や、なんのひねりもない正論や、曖昧なソース浅い知識と思い込みでさらに歪曲して捉えたまま、さも自分の思想哲学のごとく拡散している連中と、それらを手放しで褒め讃え追従するフリだけで、実際は何もしていないバカな連中が、などと表したら、それを崇拝している誰かが気を悪くしないだろうか、などと、ついそう考えてしまう癖がいつの間にかついてしまっていることに自己嫌悪したり。
「飲食についてはそれほどでもない」と書いたけれど、飲食店についてはあれこれ思うところはたくさんあるが、それも SNSのつながりを意識して、なにも公に発表しなくてもよいだろうと思って表さないようにしている。
と、いう閉塞感というか不自由さを、実は少し前まで悩んでいた。
ま、悩んでいた、というほど大げさなものでもないが、ネガティブな感想や攻撃的意見は、どう表そうが、文字だけで正確に伝えられるものでもなく、それが世に言う炎上にであり、僕なんかの個人的な意見がそういう現象にまで発展することは無いだろうけれど、普通の文章でさえ、ちょっとしたニュアンスの捉え方で誤解を招くこともあるし、それは言葉足らずということでなんとなく解決・解消できてはいるものの。
そもそも、ネットが無い頃は、そういう戯言は直に相対する身近な人たち、家族や同僚や友人たちと、本音と冗談を交えながら、ひとつの話題として表し合い、補完し合い、学んだり自分が知らない情報を得たりしていたわけで、ネット上で文句や悪口や批判や自分の間抜けな出来事や、時には自分が引き起こしてしまった事件についても平気で発信してしまう人は、そういうオンライン/オフラインがシームレスになってしまっているのだろう。
ネット上で文字だけで物事を正確に表すことができる人なんかごくわずかなはずなのに、ライターと名乗る連中ですら、ろくな文章が書けていないのに、ましてや素人がと、言わずもがなだと思う。
直に話せたり、例えば自分の言葉で話した音声を収録し配信するのならまだしも。
ネットの上で政治、経済、社会、哲学、宗教、芸術、芸能、日常、暮らし、趣味趣向、嗜好を区分せずに、伸びやかに自由に発信したり、交感・交換したりするのに、僕のメンタリティでは対応できないことを自覚した。
そしたら少しは楽になった気がする。
僕の言論の自由は、自分の作品とオフラインで展開するものと決めたら更に楽になった。
と、いうことなので、よろしくお願いします。
by thin-p | 2017-10-15 11:59 | 雑記帳