人気ブログランキング | 話題のタグを見る

去年の今日も快晴だったっけ

この時間はまだ日曜日のうちなので、いまから更新すれば有言実行なのだ。

去年の今日も快晴だったっけ_c0030705_0522621.jpg


今日は義父の初命日。初命日とは言わんか。とにかく1年前の今日に義父が永眠した。
あの日は土曜日で、早朝から愛知駅伝が毎年開催されている愛・地球博記念公園、通称モリコロパークへ仕事で出かけ、その仕事自体はすぐに終わっちゃうので、そのまま会場の中の秋の名残を撮り、昼からは翌日の現場の準備と打合せをして、夕方からは自分が翌日に行く豊橋のJFFS生中継準備もして、夕飯を食べ終わった頃に義父が入院していた病院から危篤の連絡が来て、親戚に連絡してから義母と妻子を連れて病院へ向かった。

その時にはもうすでに息はしてなくて、けど、主治医の到着を待って、儀式としての聴診器あてとペンライトでの瞳孔の反応を確認した上で臨終が告げられた。
死亡時刻はその時間になった。

葬儀屋と親戚に連絡をして、看護士が退院のための遺体の準備をしている間に、その次の瞬間からの段取りをつけ、病院との話しもして、アシスタントやスタッフたちや翌日行く予定だった現場の関係者と、そして同じ現場で一緒にイベントの生中継をする予定だったトンパテレビの相方に連絡をしていたら葬儀屋の車が到着して遺体を自宅へと運んでくれた。

本来なら翌日の日曜日が通夜で告別式は月曜になるスケジュールだったが、翌日は何がなんでもやらなきゃならない仕事があり、義母と妻子の理解了承を得て、次に親戚の了解を得て、通夜と葬儀を1日ずつずらしてもらった。

当日もだったけど、翌日も見事な快晴だった。
仕事を済ませ、現場を出たのは21時過ぎだった。
そこから東名を走り帰宅する間のことはあまり覚えていない。

帰宅すると親戚や町内会のお歴々や親しい近所の人たちがたくさんいて賑わっていた。
その中に僕が入っていくと、それまで賑やかだった家の周りも中も静かになった。
玄関で正座して終日不在だったこととスケジュールを変えたことを侘びて焼香して妻から葬儀屋との打合せがどこまで進んだかの報告を受け、叔父たちの話しや意見も伺い、なんだかんだで朝になった。

僕の仕事はイベントの企画制作演出運営だし、実の父親の時もほぼすべての段取りをつけた経験があったので、準備自体はまったくもってスムーズに出来たし、現場続きで体はクタクタだったし、横になったらすぐにでも眠りに落ちそうだったけど、自分の気持ちが眠らせてくれなかった。

通夜のあと、義母と妻子は疲れないように風邪をひかないように帰宅させ、葬儀場に用意してくれた部屋で義父の隣で一晩明かした。

通夜も告別式もとても多くの方々が弔問に訪れてくださった。
その場で僕のことを婿養子だと知った人も少なくなかった。
町内会や学区の人たちでさえ、僕が婿養子だということを忘れていた人もいて、葬儀の前後ではあらためてそういう話しになる場面がままあった。
去年の今日も快晴だったっけ_c0030705_0562253.jpg

四十九日、初盆、一周忌と法事が恙なく済んでいき、昨日は学区の行事実行委員会の懇親会兼忘年会が開かれたので、無事に命日を迎えられたことの報告と1年前のお礼を言うために出席した。
義父は区政連絡協議会や町内会、学区の行事実行委員等、地域の活動の中心的役割を果たしていたので、まったくの新参者の僕も温かく歓迎していただけた。

去年の今日も快晴だったっけ_c0030705_0564321.jpg

そして、今日は義母と妻子と4人で墓参りに行った。
青空の真ん中に白いヘリコプターが停まっていた。
葬儀や法事の時に虫が部屋の中を飛んでいると、それは本人の霊か魂なのだと言う話しを聞いた事があるが、あのヘリコプターは義父だったかもしれないので追い払わず写真だけ撮っておいた(笑)
去年の今日も快晴だったっけ_c0030705_0554659.jpg


---
実の父親の時は何度も命の峠を越えて、最後の1年もそんな感じで、もう助からないと言われたところから奇跡的に戻って来てくれて、泣きながらリハビリもがんばって話し歩けるようになり、お袋ともたくさん話しをしたり一緒に旅行に行ったりする時間を得た。

義父も実は去年のGWに意識不明になり、昏睡状態が約1月続き、そこから奇跡の帰還を果たし、担当医を驚かせて、毎日看病に病室へ通った義母とたくさん話す時間を得た。

去年の今日も快晴だったっけ_c0030705_0553270.jpg


サッカーではゲーム中にファールや怪我などにより審判が時計を止めた時間を90分を超えてから余分に付け足すが、これを以前は(日本では)ロスタイムと呼び、フジテレビがサッカーを人生に置き換えたドラマのタイトルを「ロスタイム・ライフ」とつけていたが、それは人生とサッカーを冒涜してるからそうなるのだ。

この時間は本来の世界共通の呼称である「アディショナル・タイム」なのだ。
付け加えられた時間なのだ。
意味や理由は違うけど、善き人に天が与えたご褒美の時間なのだ。
まさに死ぬ程の苦しみを耐えて乗り越えて得たかけがえのない時間だったのだ。

実の父も義父も、その与えられた時間にそれぞれ連れ合いや家族と幸せな時間を持てたのだ。

この話しは実の父親が亡くなった時にも、義父が亡くなった時も、親しい友人たちにはしてきた。今日ようやく文字にすることができた。
去年の今日も快晴だったっけ_c0030705_0524711.jpg


---
実はどこにも公開していない「added time」というシリーズタイトルのデジタル写真集5冊と2本のショートムービーがある。
これは僕が死んだ時に、家族かスタッフか友人の誰かが僕のコンピュータでバックアップ用HDDを開く時まで公開はしない。墓場まで持って行くには誰かに存在を明かしておかなければならないのでできない。ま、死んじゃったあとなら何が起きても「知〜らんぺ」で済むし(笑)

去年の今日も快晴だったっけ_c0030705_0545690.jpg

by thin-p | 2011-12-05 01:01 | 雑記帳