人気ブログランキング | 話題のタグを見る

イタリアのドキュメンタリー映画でチベット考

雨が降ってももうあまり寒さを感じなくなったね。イタリアのドキュメンタリー映画でチベット考_c0030705_23271216.jpgとは言え、まだヒーターと毛布は片付けるってところまではいけてない。
ま、それもたぶん今週一杯かなと思ってますがどうでしょう。

さてさて、そんじゃ昨日の予告通り、もう1本の映画の感想文を書くね。

昨日書いた『迷子の警察音楽隊』を見た時に予告編でこの作品を知って、ああこれ見たいなあと思って、それはこの作品が、迷子の〜と同じく、音楽隊(楽団)を描いているからってわけじゃなく、それはただの偶然で、よくある“無名の人たちが集まって、チームを作っていく”物語やドキュメンタリー作品が好きなのと、でも、他のそういうのとはなんとなくだけどちょっと異質な雰囲気を感じたからで、それが何なのかを理解したくってっていうのが後で取って付けた選択理由です(笑)

この時期にこれを見れてよかった。いろんなことを考えさせてくれたから。

『ヴィットリオ広場のオーケストラ(原題:L'ORCHESTRA di PIAZZA VITTORIO)』



(この作品の背景や情報は、いつものように 公式サイト を参照してください)

イタリアのドキュメンタリー映画でチベット考_c0030705_23293998.jpg

まず、いちおう簡単に作品について紹介すると、イタリアのローマ旧市街のヴィットリオ広場周辺が舞台で、そこは中国マフィアとイタリアのマフィアが手を結んで、まず中国系移民を大量に受け入れさせて、極端な言い方をすると、中国人移民に町を乗っ取らせてしまい、そこに更に世界中からの移民が入り込み、イタリア人がマイノリティだと皮肉られるほどになっちゃったんだって。
イタリアの歴史と伝統と文化が色濃く残る街が急速に変貌し、移民を排他する運動が日常的に勃発し、摩擦が大きくなっているにも関わらず、選挙になればそういう移民の票を政治利用したり、いろんな取引が行われているから、問題は問題を通り越して、何も解決しない泥沼の様相を呈しているんだって。
そんな中、イタリア屈指の美しさを誇った映画館「チネマ・アポロ」が閉館の危機に瀕し、物質的なことだけじゃなく、イタリア人の誇りや精神的・文化的財産まで奪われようとしていることを憂えた音楽家と映像作家が、その劇場を守るために、そして、多様な民族の相互理解のために何か出来る事はないかと、多国籍民族音楽のミクスチャーオーケストラを結成して公演をぶちかまそうっていう無謀とも言えるリスキーなプロジェクトを立ち上がるところからドキュメンタリーはスタートするんだよ。

全編ほぼハンディカメラのざらついた映像と、粗雑なフラッシュバックがいかにもインディペンデント作品らしい感じで、そこにキャプション的にナレーションが入って、事の発端や背景、成り行き、時間的経過を説明してくれるんだけど、これ、イタリア映画だから、字幕に集中してないと意味を理解できないんだよね。

映画が始まってしばらくはそういう説明が続くわけ。
でも僕は映像とノイズと音楽に気持ちを持っていかれちゃって、実は半分も情報をインプットされないまま、つまり、ほとんど状況を飲み込めないまま映画はどんどん先に進んでっちゃった。

でも、それがよかったって、あとで思った。

詳しい情報がなくても、そこで何が起こっていたのか、登場人物達が何を思い、何に苛つき、何を憂い、何に傷つき、何を求め欲したかがびんびん伝わってきたから。

余談ですが(全部余談?・笑)、この“びんびん伝わる”の“びんびん”って、近頃あまり使われないように思うんだけど、どうかな?で、その“びんびん伝わる”っていう感じこそが、現代に生きるすべての人たちにとって、いまいちばん必要な感覚なのかなと僕は思ってて、“ひしひしと伝わる”よりもっと強烈なイメージとインパクトが、ね。

でね、ほら、たとえば、古くからある「がんばれベアーズ」的な、落ちこぼれたちが何かを一緒に目指したり掴んでいくタイプの作品ってあるでしょ?
僕はそういうの割と好きな方で、けっこう安っぽくても感動できちゃう安いところがあるんだけど、スポーツだけじゃなく、合奏や合唱もだし、とにかく、チームやコミュニティを作っていく物語や出来事が好きなんだよね。
プロジェクトXもそんなジャンルのひとつだよね。

それらは大抵、(例え負けたり失敗したりしても)ハッピーエンドでしょ?
うまくいったけど、実は内心不満もあったとか、チームの目標や志とは別なところにある個々の本音・本心は大きな感動の影に隠されちゃうでしょ?

そして、チームが起こしたムーブメントが目標を達成したり何かを勝ち取ったり悟ったり、新たな結びつきや強い団結を作ったり、体制や仕組みや価値観を変えたりすることまでは伝わってきても、どうしようもない現実は置き去りにされていることが多いでしょ?

プロジェクトに加わらなかった人や団体や反対勢力や反論は大抵途中から描かれないで終わっちゃう。物語がドラマチックに進行する段になれば、創作だろうが事実だろうが、それは隠れちゃうか省かれちゃうか忘れられちゃう。だって感動の邪魔になるからね。

もちろん、エンターテインメントなんだから、そこに感動があればそれでいいと思う。
問題提議であったとしても、後味の悪さであったとしても、それも含めて心が何かを感じて動けば感動なんだって思う。もちろんそれには正解も不正解もない。

けど、この映画に記録された現実の中には、実はそれらが隠されている。と、いうか、隠さず映し出している。実にリアルでユーモラス(ヒューモラス)でもある。まさに人間(ヒューマン)ドラマだ。

そもそもこれは移民と市民の相互理解と問題解決のためのプロジェクトだから、マジョリティであり力を持った中国人コミュニティにも積極的に参加と協力の呼びかけをするんだけど、彼らは頑に拒み、取り合う事さえしない。
それ以外の東アジア諸国についてはまったく触れられていないから、参加者がいなかったのか、呼びかけられる事がなかったのかはわからない。

15ヶ国30人のメンバーは、中東とアフリカと南米と東南アジアと東欧、そしてイタリアとアメリカの出身者で編成されることになり、必然的に音楽もエスニックなものが出来上がる。その初演奏は強烈だ。もしあの客席に居合わせたとしたら、僕はイタリアから帰って来ないかもしれないと思った。

と、ここでほんとは日本独自の文化と伝統についての僕の思うところを書き表したいんだけど、今日は控えさせてもらいます。ものすごい論文になっちゃうかもだから(笑)
これについては、いつかかならず僕のメディアのどれかにちゃんと意見を表します。


話しを変えます。

ドキュメンタリーは決して“ありのまま”じゃない。
作り手がいれば、その感性や視点や哲学や思想が反映されるものだ。
意志や意図が存在するんだよね。

観客に感動を与えたいと思えばそう撮ってそう編集する。
音楽やSEもそうやってつけていく。

ありのままを記録として、出来事の起承転結を“まとめ”として作っていく場合は、極力余分なものを排除していくけど、ただ撮って適当に繋いで、撮影と同時に録音した音をそのまま使うだけで強烈なインパクトを与えることができればそれに超した事はないのかもしれないけど、この出来事みたいに 5年間の出来事を記録するにはそれじゃ無理だし、そんなものを見たがる暇人はそんなに多くいない。

どこをどう使うか、どういう風に並べるかによって作品はまったく性格の違うものになるから、監督と編集者にユーモアのセンスや愛があるかないかが重要なんだと思うんだよね。言うまでもなく、この映画にはたくさんのユーモアと愛がいっぱい溢れてるよ。

僕のこの雑文も、余分なことをまったく書かなかったら、特にこの作品なんか、2〜3行で片付いちゃう。(つまらなかったって意味じゃなく、それだけシンプルな作品だったって意味です)
これが物書きとしての記事ならそれでもいいだろうけど、ここは僕の自由な表現の場なので、ここぞとばかりに書きなぐり(笑)意味が伝わるかどうかはわからないけど、僕が感じた事を表しているのだと、それを誰かが読んでくれて、何かを感じてくれたらおもしろいなと思ってて、日々愛を込めて書いてます。てへ

 〜左脳を使わないでタイプすると楽しいけどめちゃくちゃだね(笑)ま、いっか〜

「ヴィットリオ広場のオーケストラ」という名のこのオーケストラ。
もし彼らが日本で演奏してくれる日が来たら僕はたぶんチケットを買うだろう。昨日のエジプトの警察音楽隊とこのオーケストラの演奏は、ぜひとも生で聴きたい。あ、警察のは劇中バンドだった(笑)


宗教、思想、哲学、価値観、歴史、文化、風習、因習、信念、信条、、、
どうしても相容れないもの、譲れないものがあるという人たちがこの世界にはたくさんいて、反目したり憎んだりしている同士がいるのも現実だ。
理屈はわかるけど、でもこれだけはどうしても曲げられない、譲れないという頑な人たちもたくさんいる。
だけど、そういうものを利用して不自然な力を持った連中の考えや私利私欲によって、手足をもがれ口を封じられてあらゆる自由を奪われ、力ずくで抑え込まれている人たちは、自らの意志ではどうにもならない現実の中で今日を生きなきゃならない。
国がなくなっちゃった人もいるし、とある国の民だと言うだけで差別される人もいる。

その国のやっていることは許せないけど、その文化や製品が好きだったり、敬意を持ってさえいるということがたくさんある。

その国のやっていることは許せないけど、その国には友だちが暮らしているということもたくさんある。

この国のやっていることが許せないけど、僕は日本人だという誇りも持っているし、この国が好きだ。

価値観は変えられないかもしれないけど、違う価値観を受け入れる、もしくは理解しようと努めることはできると思うんだよね。

もしかしたら、相手が敵対する国の民だとしても、個対個には友情や愛情が成り立つとさえ思っていたりする。

人を好きになるのだって努力が必要で、その努力は相手に対するものだけじゃなく、自分自身に向けるものでもあり、それができさえすればもっとつながることができる人は世界中にたくさんいると思うんだよね。

だからこのオーケストラは成り立ったんだと思うんだよ。

僕はこの映画を見たあとで、やっぱり、と言うか、どうしてもチベットのことをあれこれと考えた。そしたら僕は詳しい事をほとんど知らないことに気がついた。だからとりあえずいろいろググってみた。いまや興味を持ちさえすれば様々な情報を手に入れられるからね。

いまチベットで起こっていることの背景や原因、現状を知るにはこのサイトがわかりやすいと思いますので、よかったらリンク先を読んでみてください。
この映画とチベットの問題の間に直接的関係はまったくないけど、ま、きっかけってことで。

 *チベット式【2008年チベット動乱】よく聞かれる質問集


たぶん普通に書けば、この映画の感想も長くて10行くらいで収まると思います(笑)
それを無駄に長くしてる感もありますが、ま、でも表に出したい思いってのはまだまだ尽きません。あしからずお付き合いください(笑)


とりあえず今日は締めます(笑)

最後に、この映画のオーケストラみたいなのを結成するのは僕には出来ないけど、青空の下で、世界各地のインディーズたちと音楽を共有するフェスティバル&カーニバルを作る準備を始めました。

それは今年中にできるのか、来年以降になるのか、まだわからないけど、僕はそれをいつかきっと実現させます。

あ、言っちゃった(笑)

by thin-p | 2008-03-24 23:33 | 映画